3.「いける」とは?

山茶花、ブルーベリー




「3.「いける」とは?」



「いける」ということばは、いろいろな意味を同時に含んでいるようです。


まず「生ける」「活ける」の意味。


自然界から「生きもの」の一部を拝借してきて、人工の間に据えること。
それは日々の生活に、強力な自然/生命のちからをよびこむことであり、花をいけることで空間がぐっとかわることは、この力によるところが大きいのかもしれません。


同時に、いけるは「埋ける」でもあります。葬る、の意味。
いけばなは花をはさみで切るところからはじまるので、これは「生ける」の逆ともいえます。
このようにきったものを弔うために「埋ける」、ということも、「いける」には含まれているはずです。


また、一方で、「埋ける」も、「生き返す」の意味もふくむのです。 日本語はすごい。実際、花はいけると自然にあったときよりも、より美しく、むしろまるで別物に見えることがあります。花が、まるで別の次元の世界に転生したかのように見えます。マジカルです。 これは日常の空間に別次元の論理ができることなので、これも空間をかえる作用をしています。


このような全く対極にある生/死の両要素が「いける」ことには含まれるのですが、そもそも花というもの自体が、このような両義的なものなのだとおもいます。


植物の成長は、栄養成長と生殖成長の二段階にはっきり分かれます。栄養成長は細胞分裂によって葉と茎が延々と成長する段階。生殖成長は花が咲 き、染色体 は減数分裂をして種子を残すと同時に、成長を止め、個体は死ぬ、という過程。つまり植物にとって開花は、成長の頂点として現れるけれども、同時に死のプログラ ムのスター ト信号でもあります。このため花は生と死の両者を象徴するようなものでしょう。
うたのUAさんで有名になりましたが、スワヒリ語でua(ウア、ウーア)は、花という名詞と殺すという動詞の両義をもっている、というのも花の本質ですね。


つまり、いけばなで花を「いける」ということは、生死という対極を同時に両義的にもつ花の本質をそのまんまとらえることです。このような「いける」から出発するいけばなは、単純な二分法ではない、高度な価値の体系を備えている、ようなきがするのです。


このようなことが、いけばなが、オブジェやアレンジメントの花とはちょっとちがう、華「道」となっていることの、ひとつの重要な要素です。